セレノメチオニン蛋白質の利用

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 ここでは、セレノメチオニン蛋白質の利用について述べます。但し、MAD法には触れません。研究室のX線回折装置を使った際の、セレノメチオニン蛋白質の利用についてが主題です。セレノメチオニン蛋白質を用いれば、電子密度図の解釈の段階で非常に能率を上げることが可能です。是非やりましょう。

セレノメチオニン蛋白質

 セレンは周期律表において硫黄の一つ下に位置している元素です。蛋白質結晶構造解析においてこの元素が注目されたのは、Hendricksonらによるセレン原子の異常分散を用いたMAD法による一連の立体構造解析が最初です。この方法を使えば、重原子同型置換体を作成する必要が無く(もちろんセレノメチオニン蛋白質を作る必要が有るけど)、結晶の同型性に頭を悩ます必要もない。ただし、多波長の異常分散の回折データを、高精度で集めなければならず、実はこれがかなり難しい実験です(もちろん、測定器の進歩により、以前に比べればはるかに容易でしょうが......)。特にセレンの異常分散を蛋白質の結晶を用いて正確に測定するには、Rmergeが2-3%のデータが必要なようです。さらに、MAD法を行うには、現時点においてはシンクロトロン放射光が必要で、実験室系で行うことは不可能です。

 では、セレノメチオニン蛋白質は放射光が使えないと役に立たないのかと言うと、そのようなことはなく、実験室レベルの実験においても十分役立ちます。特に、電子密度図の解釈においては力を発揮します。また、セレノメチオニン蛋白質を用いて作った結晶を重原子同型置換体として使うことも可能で、位相の決定にも役立てることも可能です。普通は、大部分のデータを実験室系の測定装置で収集しなければならないことを考えれば、MAD法にこだわらず、上記に述べたようなメリットがあるのだから積極的に使ってみようという訳です。

セレノメチオニン蛋白質の作成

 セレノメチオニン蛋白質の作成には、発現系として大腸菌を用いるのが普通です。当研究室では、Hendricksonらの方法に基づいて実験をしています。

 セレノメチオニン蛋白質作成に用いるメチオニン要求性株(メチオニンを自分で合成できず、外から取り込む必要のある大腸菌)は、DL41とB834(DE3)があります。DL41は冷蔵庫の中にあります。また、B834(DE3)に関してもTakaraから購入済みで、探せばあるはずです。蛋白質の発現に用いているプロモータがlacUV5等の場合はDL41を、T7プロモータを用いていれば、B834(DE3)を用います。BphCの場合は、lacUV5を用いて発現させていたので、宿主としてはDL41を使いました。また、IPTGで誘導をかける前のプロモータの働きを完全に止めるために、lacIを持ったプラスミド(pREP4;フリーザーの中にあるはず)と発現用ベクターを同時にトランスフォーメーションして使用します()。

 培地は、通常の培養で用いるLB培地などではだめで、特別なLeMaster培地という各種アミノ酸を含んだ制限培地を用いる必要があります。この培地には、メチオニンの代わりにセレノメチオニンが含まれており、この培地で上記の菌を培養することによって、セレノメチオニン蛋白質(セレノメチオニン大腸菌?)を作ることができます。もちろん、LeMaster培地でなくてもメチオニンの代わりにセレノメチオニンを外部から供給してやるようなシステムで有れば、問題ないでしょう(誰か試してくれ)。また、誘導をかけるまでLB培地などの通常の培地で育て、誘導後菌体を集めて良く洗った後に、セレノメチオニンを含む制限培地に移し、セレノメチオニン蛋白質を作成した例もあります。

 培養に関しては、制限培地を用いるために菌の生育は少々悪くなります。培養の際、制限培地に5%ほどLB培地を混ぜてやれば、比較的良く生育するようになりますが、セレノメチオニンへの置換率は落ちてしまいます(約70%ほどになった)。まあMAD法の実験をやる訳じゃないから、それほど気にすることも無いでしょう。もちろん置換率が高ければ高いほど後の実験には有利ですから、あまり妥協しない方がいいのかもしれない。セレノメチオニン蛋白質作成の簡単な流れは図を参照

 培養の結果ですが、BphCの場合は、かなり蛋白質の発現量が落ちてしまいました。通常の組み替え体の場合、1リッター培養で10-20ミリグラムの精製蛋白質がとれていましたが、セレノメチオニン蛋白質(SeMet BphC)の場合は、1リッター培養で、1-2ミリグラムしか精製蛋白質を得ることが出来ませんでした。もっとも、Nativeの結晶と違いそれほど個数がいるわけではないので、量的には少なくても問題にはならないでしょう。まあ、あまりに発現量が少ないようだと、精製に支障をきたす場合もあるのかもしれません。

 結晶化は、Nativeの場合と全く同じ手順で行います。多分結晶は出るはずです。だし、硫黄とセレンは、ファンデルワールス半径が違うため(セレンは硫黄の約1.2倍程)いつも上手く行くかどうかはわかりません。メチオニンが結晶中で分子間の相互作用にかかわっている場合、影響がないとは言い切れません。 

データ測定

 分子量3万程度の物ならばセレノメチオニンが導入されたことによる強度変化は10%弱と見積もられます(BphCの場合は、理論値は8.2%となる)。この程度の差なら実験室レベルでも丁寧に実験を行えば十分測定が可能です(もちろんセレノメチオニンへの置換率があまりに低い場合はダメ)。BphCの場合はセレノメチオニン蛋白質と通常の蛋白質の結晶から得られた強度を比較したところ、セレノメチオニン導入の効果と考えられる強度差が認められました()。2ー3%の違いですが、セレノメチオニンとNative結晶の間のR値は、同種間のR値よりも大きいことが分かります。実際に実験するときは、このような表を作って確かに差があるかどうかを確認して下さい。この時、Nativeのデータがきちんと集まっている事が大前提です(Native対Native, SeMet対SeMetのR値は、7-8%程度でないとダメです!)。

差フーリエ法によるメチオニンの決定

 データを収集したら、セレノメチオニンの位置を決定します。その段階において、初期位相が決まっていれば、差フーリエ法で簡単にセレンのピークを見つけることができます。この場合、ペプチド鎖のトレースが出来なくても、分子の境界が何となく分かる程度の位相で十分です。初期位相が決まっていない場合には、無理して差のパターソンマップから解こうなどと思わずにほおって置きましょう。どうせ他の重原子誘導体がなければ構造は解けません。初期位相が決まってからセレンの位置を決めれば十分です。セレンのサイト数は理論的にはメチオニンの数だけあるはずですが、温度因子の影響もありますから全部拾えるとは限りません。セレンのピークはちゃんと3シグマ以上ではっきり見えるはずです()。

 当研究室のR-AXIS IIcで収集したデータを用いて、実際に差のパターソン図を計算した結果がです。の上半分が実際に得られた構造から理論的に計算した差のパターソン図、下半分が実験室系で集めたデータを用いて計算した差のパターソン図です。かなりゴチャゴチャしたマップですが、これは、1)メチオニンの数が9個と多いうえに結晶の対称性が高いため、パターソン図自体が複雑になってしまうこと、2)Risoが小さい割には、データの質が悪いことが原因として考えられます。しかし、理論的に導いた差のパターソン図と比較すると(の上半分部分)、大まかな特徴は備えていることが分かります。だけど、これはそう簡単には解けないでしょう。初期位相が決まってから、差フーリエ法でサイトを決めるのほうが賢明です。

位相決定におけるセレノメチオニン蛋白質

 差フーリエ法で、セレンのサイトを決定したら、MLPHAREで各サイトを精密化します。但し、いっぺんに全部のサイトを入れても上手く行かないことが多いので、少しずつ様子を見ながらやっていきます(2〜3サイトづつ、徐々に入れていくのが良いでしょう)。もちろん、メチオニンの数だけセレンはあるはずですが、温度因子が大きかったりで全てのサイトが精密化できるとは限りません。しかし、上手くやれば7〜8割程度のサイトはきちんと精密化できるはずです。

電子密度図の解釈

 セレノメチオニン蛋白質を用いた場合には電子密度の解釈は、このメチオニンの位置を起点に行います。BphCでは、2つのメチオニンが6残基離れたところに位置している部分があり、ここを起点に解釈を行いました。電子密度図にアミノ酸残残基を当てはめてゆき、メチオニンが来たところでそのたびに解釈の正しさを確実に確認出来るので、効率は非常に良いはずです。精神衛生上も、メチオニンが来るたびに励まされるのでおすすめです(但し、うまく行かない時は悩みは100倍になるのかもしれない)。(図を参照